blackrme’s blog

暇があれば見てください。興味がなければ見ないでください。

始まり

2020年3月30日 開始

2021年3月29日 終了

 

 おはようございます。こんにちは。こんばんは。このブログを初めて見る方は初めまして。私を知っている方は久しぶり。今このブログを書いている私は、19 歳のごく普通の大学生だ。高校生から現役で大学に進学し、平凡な毎日を過ごしている。そんな私がブログを始めたいと思うようになった。最初のブログには、私がブログを始めるという奇行に至った理由について話す。

 ここでもし私のことを知っている方がこのブログを見たら聞いてほしいことがある。それは、「この文章を書いている私は、今まで知っている私では無い」ことだ。今まで知っている私の姿は、私を見る、話すことで分かり、その情報をもとにイメージしたものの体験量でしかない。自分で言うのもあれだけど、私はこの一年間で大きく価値観が変わったと感じている。だからこのブログを見るときは、私を今までとは別人のような感覚で見てほしい。

 私がブログを始めようと思った理由は、決して承認欲求や強い自己顕示欲ではない。私にはそのような欲が無い。私はまだ19歳で、私の価値基準や性格は19年間生きた中での経験量でしかない。私は人生において今の価値基準や性格は不完全であり、今の私をいいとは思わない。しかし私は今の自分を後悔することは無いし否定することもない。何故なら19年間生きた中での経験量がこの文章を書いているからだ。それにいいも悪いもない。生きる過程でこれから私は、変動する社会の中で物事を選択し、知識を得て、他人を知り、考えることでまた新たな価値基準や性格となる。未来の私の価値基準や性格は必ず変わる。それは成長といえるだろう。成長とは絶え間なく未来へ進んでいく過程なのだ。

今の自分の「俺今こんなこと考えているんだぜ!すごいだろ!」と誇る為にブログを書くつもりは毛頭無い。

 私がブログを始めようと思ったきっかけは「意識は何の為に存在するのか」の答えに一致していた。

 感情は何の為に存在するのか。そしてその感情や感覚を感じることができる意識は、何の為にあるのか。こんな事を私は高校生の頃から考えてきた。日々の生活の中で人間は怒ったり、泣いたり、笑ったり、喜んだり、悲しんだりする。そして我々は五感で情報を認識し感じとる。この感じとることができる意識は何の為に生まれたのか。そんなことを考えるのが私の「ブログを始めるという奇行に至った理由」の発端で、意識は何の為に生まれたのかを考えるきっかけとなった。この疑問は生物の進化において備わる機能が関係していた。

 クジラは哺乳類だが水中で生息している特殊な生物で、祖先は四足歩行のオオカミやシカに似た動物だった。陸上生活に適した骨格を持っていて、現代のクジラにも胎児のごく初期に、一対の後肢の塊が出来るが、やがて消失する。陸上の外敵から身を守る為に水の中で暮らすようになり、脚で体を支える必要が無くなったからだ。前脚は泳ぐために役立つ胸ビレへと変わった。骨格を見ると、胸ビレの中にも私たちの手と同じように5本の指がある。

 そして、クジラの祖先にあった嗅覚や味覚が、クジラになる過程を経ていくことで弱くなり、喪失する。クジラの鼻は頭のてっぺんにあり、口に入れるものが食べられるかどうか、臭いで判断できない。クジラにとって嗅覚で腐敗物や敵を避ける必要性は全く無い環境になっていったからだ。このようにクジラは進化により新たな機能を獲得するのと同時に、不必要な機能を失っていった。しかし、それは生存するために必要だった。「進化」という言葉は、優位な方向に変わっていくというニュアンスが誤って存在する。これは人間の進化もクジラと同じような「進化」の事象がある。

 それは人間の肌色だ。人類には白色、黒色、褐色、黄色など様々な肌色がある。その肌色の違いは地球の緯度と関係がある。肌が黒色の人ほど地球の赤道に近く、緯度が高い所にいる人類ほど肌が白い。肌色の違いは、表皮にあるメラニン色素の量の違いなからなる。メラニン色素が多い人ほど肌色が黒くなり、少ない人ほど肌色は白くなる。日本人が属するモンゴロイドはその中間だ。赤道に近い地域は暑く太陽光が強烈な環境であり、特に紫外線は人類にはとても脅威的な存在だった。紫外線は人間に有害な太陽光だ。この環境に対して黒色の皮膚は皮膚を防御するための最適解だった。メラニン色素で表皮を覆うことで過多の紫外線を防ぎやすくすることで生存することを選択した。それがアフリカ大陸で生まれた人類の祖先である。白人の持つ特徴的な肌色は、赤道付近の日光の量より格段に少ない高緯度地域で生存するためだった。紫外線を吸収することによって得られる骨の発育に必要なビタミンDを効率的に摂取するためには、必要な太陽光を吸収しやすくする白い肌が必要だった。だから黒い肌の機能を捨て、白い肌に変わっていった。

 他の例もある。鳥肌は、体温が下がると毛根が引っ張られ毛が逆立って動く現象だ。体毛の長い動物は毛を逆立たせて断熱効果を高める。人類の祖先であるサルはこのように暖をとる。しかし我々人類は衣服を着るという社会の中でノーマライズ化された習慣が、毛を不必要とした。これも進化の一例である。
 話を肌色に戻す。肌の色の変化は、全て生存するために必要な機能であるが為に起こった。

今社会で起こっている肌色差別はメラニン色素量の違いによって起こる偏見の応酬なのだ。

 そしてその差別的な感情を持つことができる意識も、生存に必要であるが為に人類の脳内に進化によって備わった機能である。人間を形作る全ては、様々な環境下で必要に応じて突然変異によって獲得したその為だけに適応した継ぎ接ぎの機能だ。進化は遺伝子の取捨選択であり、その場その場で選択された遺伝子の集合体となる。

かつて人類か人類の祖先には感覚や感情が必要だった。それをを感じることが出来る意識が必要だった。意識がどのような環境下で生まれたかは私には想像も断定もできない。私はそれを想像するための知識を今は持っていない。

 

 意識は、人類か人類の祖先が生存することを選択したが為に進化し脳が作り獲得した機能なのだ。

この考えに至った時、進化によって生まれた意識は何の為に存在するのかを考えるようになった。

 この後の文章は気が向いたら作る。

 

 

 

 

 話の続きになるが、生物の進化によって得られた意識は生存することにおいて必要で、脳が作り出した機能だと私は考えた。五感を感じ取る器官は身体中にあるが、感じ取った情報を感じ取る器官は脳である。人間は環境に適応する為に、器官を生み、必要な情報を感じとる事で意識を形作っていった。現実というのは、様々な感覚器が感じたものを一つの世界として認識しできている。

 

意識に関して有名な実験がある。ベンジャミンリベットの実験だ。その実験は、人間が指を動かすという意志決定をした時と脳がその意志決定をした行動を準備する時の時間差を測定するものだ。

人間の普通の感覚だと、意志決定の後に脳が準備段階になると思うだろう。結果はその反対だった。脳が準備段階に入ったおよそ0.3秒後に、意志決定が起こっていた。

つまり、既に脳は人間が意志決定する前から動かすことを決定していて、それを自ら実行していると思っているということだ。

人間の意識は自由に物事を決めることができる。しかしそれは、自由に決める前から既に脳が動いていて、あたかも自分が決めたように思っているのだ。

人間は幻覚を起こす事がある。これらは全て、脳の機能障害によって起こるものだ。幻聴・幻視・幻触などは、脳が情報を処理する過程で異常が生じる事で発生する。意識は脳から作られている。

様々な感覚器から得た情報を脳内で処理し、その情報を一つの現実として表す。

これが意識の役割だ。

 

では意識は何の為に存在するのだろうか。

 

それは人間が生きている中で得られたものを記憶とし、それを物語る為だ。

人間は自分自身を残そうとする。それは子孫であり、事象であり、言葉である。子孫には自分自身の遺伝情報が引き継がれ、育てることによって自分自身の記憶を子孫に残す。物事を起こすことによって他人に関心を持たせる。言葉を紡ぎ、発することによって他人に影響を与えることができる。人間は自分自身という物語を紡ぐ事で、他人の意識に何かを残す為に生きている。

人間はいつか死ぬ。それは今の所避けられない。しかし死を恐れる事は必要ない。人間は人生という一つの物語になれる。だから私は語り、書すことによって私の物語がより多くの人間の意識に残るようになりたい。他人に認めて貰う、今の自分を示す。そんなものではない。私は自分の為だけに、自分自身を遺す為だけに物語を描く。

 

 

私はあなたの意識に宿りたい。

それが私の物語。

私は私という物語を描き続ける。

 

これが私がブログを始めるという奇行に至った理由だ。

 

 

 

これからは自分が思ったことや自分の価値観について書いていきます。

暇があれば見てくれると嬉しいです。